土曜日日記

みなさん休日、いかがおすごしでしょうか?
僕はなんか忙しいふうを装ってます。

本当にいそがしいと思わないところがミソです!

で、今日の僕はなにをしていたかというと、二子玉川の喫茶店でプロットをうんうん練ってました。
なぜ二子玉川なのかというと、なんとなくです(注・僕は二子玉川には住んでません)
今日はそれで一日を終えましたなんて日記は最悪すぎるので、今日買ったもの。

なんか、数千円もするペン買いました(正確な値段忘れた)
多機能ペンってやつで、赤、黒、青のボールペンに、シャーペン機能までついてるという優れもの。
最初使い方がわからなくて店員さんに聞いたのですが、あれ、すごいねーーー
Rってマークを自分のほうにむけてボタンをカチャっと押すと、赤のボールペンがでるのよ!
Bってマーク自分のほう向けると、黒!

なんで?
ペンが勝手にこっちの気持ちを理解してんのか!? と、驚くわけです。
なんでも、中に分銅が入っててどうのこうのな原理がすごいことになってるそうです。
へー!

あまりの驚きに、衝動買いしてしまいましたー!!!ってのは嘘で、手帳用に、赤のボールペンとシャーペンが一緒になってるペンが前から欲しかったのです。
ついに手に入れたぜー!

ということで、今日買ったものはそんなペンでしたー。
あとベジーヤとかいう店でスープカレー食べました。
美味しかったです。

                        完

と、普通に学校の日記っぽく終わってもしかたないので、今日もまた質問コーナーへー

「鏡先生初めまして。いつも伝勇伝楽しく読ませてもらっています♪
私は今年20歳になり、転職をしようかと思っています。なので、今働いている職場を近いうちにやめるのですが毎日のように失敗が多く怒られます。
お世話になった仕事場だからこそ一生懸命頑張ってるのに空回りし、失敗をして・・・最近では落ち込んでばかりいます。
失敗した事を深く考えない方がいいのでしょうか?こんな状態から切り抜けられる方法はあるのでしょうか?教えてください・・・」

えーと、失敗は、すればするほど成長するので、失敗するのは全然オッケーだと思います。
でもね、失敗したことは、深く考えたほうがいいと思います。
悩むんじゃなくて、どうして失敗をしたのかを考えるのが大事だと思います。
悩むのはだめ。
むしろ失敗したってのは、自分にできないことに挑戦した! ってことなんだから、悩むよりも誇ることだと思うんです。
あ、この場合、誰かは関係ないので、誰かができてるのに、自分はできなかったとかそういうことを考えるのもだめです。

一生懸命頑張って失敗したのは、新しいことに挑戦したからで。
だからそこで大きく成長しちゃったわけです。
自転車だって最初は乗れないのに、転んで足すりむきまくってるうちに乗れるようになるわけでしょう?
最初っから乗れるのなんて、気持ち悪いよそんな子供(笑)
あと、最初っからできることに挑戦するなんて、目標も低すぎるじゃん?
だから、失敗したってことは、挑戦した! ってことだと思うから、悩むより、誇っていいよ!
と、思うんだけど、どうかなー

もちろん、失敗のままほっとくという選択だと、一生自転車にはのれないのに、その失敗を何度もして、どうしたら失敗しないかを考えて、、、の繰り返しをしないといけないけれど、失敗したことは、悩まずに、誇っていいと思います。

人生なんて、どこで勝ちが決まるかわからないんだから、小さな失敗に一喜一憂する必要はないと思います! と、僕も自分に言い聞かせて頑張るようにするから、みんなもそうしてみないー?(なんの勧誘だろう)

でも、ほんとそうだと思う。
あとつけくわえるのなら、向き不向きってのもあって、不向きなのを頑張るよりは向いてること頑張ったほうが伸びもはやいから、そういうことも意識しながら、一回目や二回目、いやいや十回目くらいまで失敗しちゃうのあたりまえ的な大らかさでどーんとやってみてください。

子供初めて自転車に乗ったのを見たとき、その子が何回も何回も転んでたって、その子を怒ったりしないでしょ?
一生懸命チャレンジしてて偉いなーって、思うでしょ?
そんな感じの大らかな気持ちで、失敗する自分を見てあげてほしいなーと、思います。
よろしくお願いします。

ただ、失敗したくないからもうしない的な考えになったら、いやいやきっと自転車は乗れるからって、言ってあげてください。

と、今日、僕は僕に言ってあげようと思います(笑)

次のしつもーん

「鏡先生は、自分で原稿を書いていて、『あれ??僕って文体変わったかな??』って思う時ってありますか??
私も小説を書いていたのですが、(超オリジナル長編大作(!?)です。今度応募しようかな~って思ってました。)ずーっと読み直しをしながら書いてきたつもりなのに、ふいに序盤の方の文体を見ると、キャラクターのセリフとかは変わってなくても、ナレーションのセリフでない部分が大幅に変わってて、誰が書いたの!?とか思ったことがありました。先生はそういうことってありますか??意外と他人に言われると気づくって言われますよね。直すべきか放っておくべきか・・・
プロとして大大活躍中の先生にご意見を賜りたいと思いますww」

うーんと、僕の中では、毎作品(長編なら一冊ごと。短編なら一話ごとに)すごく変わってます。
読んだ人があきらかにわかるところから、読んだ人がまるで気づかないようなことまで、かなり変わってます。
もちろん、一作品の中で大幅に文体が変わってしまったりすると、読んでる人が辛いのでそれはいいと自分が思ったほうにあわせて書き直す必要があると思うけれど、作品毎に変わってる、、、ということならば、まあ、気にしなくてもいいかなとも思います。
常に新しい作品のほうが成長しているのはあたりまえだし、あと、これからガーンっと成長する寸前! みたいなときは、自分の脳みそがその準備のために突然妙な文体になっちゃうこともあると思うし(なんか感覚的な文章でごめんね)

だからまあ、そんなこんなで、読んだ人が楽しく読めるかどうかというのが、一番大事だと思います。

それに文体の話をさらにすれば、対象読者が誰なのか、誰に喜んでもらい、誰に泣いてもらいたいのかというのを明確に意識すると、またいろいろ変わってくると思います。

でも、今回の質問は、一作品の中でってことですね。
これ、あるよねー
んで、直せば直すほどよくなることもあるし、直せば直すほど、最初の勢いがなくなることもあるから、難しいよね。

うーんと、もうけっこう見直しはしてんだよなーって場合はそのまま送るし、やっぱ気になるって場合は、直すほうがいいかな?
あとおすすめなのは、同じ話を、書き直してみるということ。
デビューする前に僕は、原稿のデータがヤワなフロッピーの野郎のせいで消えて! 泣く泣く書き直したことがあるんだけど、話の筋一緒なのに、まるで別物のような作品ができあがって驚いたことがあります。
というか、まだほとんど初めて小説を書いたような時期だったので、二度書くことによって、ものすごくレベルがあがりました。
だから書き直してみるっていうのは、おすすめです。

超!

超!

超!! めんどくさいけどね!(笑)

と、そんなこんなで今日の日記は、おしまいー
また明日、書けたらいいな!
ではでは今日はこれでー

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